ビューティー&ヘルスケア特集Vol.14 スキンケアの歴史を知ろう!ビューティー&ヘルスケア特集Vol.14 スキンケアの歴史を知ろう!

スキンケアの原点とは?

誰もが日々当たり前におこなっているスキンケアですが、その歴史について想いを馳せる人は少ないかもしれません。いつから始まった習慣なのか、昔の人はどんなスキンケアをしていたのか、今回はスキンケアの壮大な歴史を見渡してみましょう。

太古、私たちのご先祖様たちも、動物が毛づくろいをし水鳥が羽づくろいをするように、川や湖の水で顔や体を洗っていました。そして、気温の変化や乾燥から肌を守るため、動物の脂や植物の汁を塗っていたと考えられています。「より安全に快適に生きたい」という人類の想いが「洗う」「守る」などスキンケアの原点といえるでしょう。

文明が発達すると人々は共同体を作るようになり、自然界からの防御だけでなく、魔除けや呪術といった意味をもった肌へのアプローチが始まりました。これは全世界共通の流れで、日本でも古くから水を浴びることや化粧をすることに「みそぎ」や「はらい」といった意味をもっていました。

誰もが日々当たり前におこなっているスキンケアですが、その歴史について想いを馳せる人は少ないかもしれません。いつから始まった習慣なのか、昔の人はどんなスキンケアをしていたのか、今回はスキンケアの壮大な歴史を見渡してみましょう。

太古、私たちのご先祖様たちも、動物が毛づくろいをし水鳥が羽づくろいをするように、川や湖の水で顔や体を洗っていました。そして、気温の変化や乾燥から肌を守るため、動物の脂や植物の汁を塗っていたと考えられています。「より安全に快適に生きたい」という人類の想いが「洗う」「守る」などスキンケアの原点といえるでしょう。

文明が発達すると人々は共同体を作るようになり、自然界からの防御だけでなく、魔除けや呪術といった意味をもった肌へのアプローチが始まりました。これは全世界共通の流れで、日本でも古くから水を浴びることや化粧をすることに「みそぎ」や「はらい」といった意味をもっていました。

奈良時代、仏教とともに広がった清潔への意識

『日本書紀』には当時の文明国である唐から692年(飛鳥時代)、女帝・持統天皇へ白粉(おしろい)がもたらされた記述があり、日本人の白い肌への憧れと美意識はこの頃から芽生えていったようです。
奈良時代になると仏教の広まりとともに清潔にすることが奨励されるようになり、「沐浴(もくよく)」が普及し、寺院では貧しい人や病の人に対し「施浴(せよく)」がおこなわれていました。
平安時代には、上流階級では木の実や豆を利用して顔やカラダを洗っていたようです。また、宮中では菊の花の露を綿に移して顔やカラダをぬぐうと老いを去ると言われていました。

スキンケア習慣が一般化した江戸時代

江戸時代になると『女重宝記(おんなちょうほうき)』など、出版物の中で女性のたしなみが語られるようになり、化粧やスキンケアが庶民へと広がります。中期以降は庶民の化粧が濃化粧から薄化粧へと変わり、それとともに素肌を美しくする意識が高まっていきました。
「うぐいすの糞」や「ヘチマ溶水」などもスキンケアアイテムとして古くから庶民に愛用され、町ではうぐいすを飼ったり、ヘチマを育てたりする光景がみられたそうです。

町人文化が花開くと遊女や歌舞伎役者らがトレンドリーダーとなり、初代松本幸四郎の名を冠にした『蘭奢水(らんじゃすい)』という化粧水なども登場。さらに、人気滑稽本作家の式亭三馬が発売した化粧水『江戸の水』が大流行します。

また、1813年には日本の美容史に残る『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』という大ベストセラー本が誕生。大正末期まで100年以上読み継がれたこの本には、現代につながる様々なスキンケア術も記されています。

洗顔料では「ぬか袋」や小豆の粉入りの「洗粉(あらいこ)」をはじめ、小豆・滑石(かっせき)・白檀の粉を混ぜた美白効果をうたったものまでが紹介され、さらに冬瓜と酒を煮詰めて絞った汁を顔に塗って寝るというパック術も掲載。他にも、「イノシシの蹄(ひづめ)を砕いて米のとぎ汁で煮詰めて膏薬状にして顔に塗る」というコラーゲン美容とも思える記述もあり、今ではビックリするような美容法もあります。
指南書を片手にコスメを手作りしたり、流行りの化粧水を買い求めたり、江戸時代の女性たちの姿は現代の私たちとあまり変わらなかったようです。

文明開化とともに石鹸やクリーム、エステも登場!?

明治時代に入ると国をあげた公衆衛生の普及活動により、庶民生活に石鹸やクリームが加わります。化粧水は蘭方医学や西洋医学を取り入れたものが次々と発売され、明治後期にはなんと「美顔術」というエステも登場。
大正時代になると、女性の社会進出に伴い、スピードを重視した今でいうオールインワン発想の時短化粧品も発売されます。

1931年(昭和6年)浅草松屋化粧品売り場の様子

昭和時代になると、肌質タイプ別の洗顔法が提唱されたり、美白や毛穴引き締めといった機能的な化粧水が開発されたりするなど、スキンケアアイテムの幅が広がります。そして戦後は一気に生活が西洋化。ベースメークの主流も白粉から油性ファンデーションへと替わり、それとともにクレンジングクリームという新しいスキンケアアイテムも生まれました。

個々のニーズに合わせた多彩なスキンケアの時代

さらに時代は移り、今では様々なニーズに合わせた多種多様なスキンケアアイテムが揃うようになりました。研究技術の高まりとともに機能性の高い商品の開発も進み、近年は長寿社会を背景に「エイジングケア」という新しい分野にも注目が集まっています。

汚れやけがれを落とす「洗う」行為から始まり、女性を取り巻く社会環境や美意識とともに発展してきたスキンケア。時には壮大な視点でスキンケアの意義を見直してみるのも面白いものですね。

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